かわさきのきつねさん/いるか・かんべとうま 川崎のキツネさん/イルカ・神部冬馬
「川崎のキツネさん」は、シンガーソングライター・イルカが在籍していたフォークグループ「シュリークス」時代に発表された楽曲である。作詞・作曲は神部和夫が担当し、1974年のアルバム『イルカのうた』に収録された。Apple Musicでも同作の収録曲として1974年2月20日の日付が確認できる。 その後、イルカによって何度か再録・再演されており、2010年には息子の神部冬馬とともに「川崎のキツネさん 2010」を制作。さらに2020年6月24日発売のアルバム『原石時代』でも、イルカ・神部冬馬による再レコーディング版が収録された。 楽曲の主人公は、川崎の街に取り残された一匹のキツネである。花や鳥が消え、煙によって青空が失われ、外へ出ることさえできず孤独になったキツネの視点から、都市化や公害、自然環境の破壊を訴える作品となっている。歌詞ではキツネ自身が繰り返し苦しさや寂しさを訴えており、狐が単なる比喩ではなく、物語の主人公として明確に描かれている。
基本情報
タイトル:川崎のキツネさん
原曲アーティスト:シュリークス
再録アーティスト:イルカ・神部冬馬
作詞:神部和夫
作曲:神部和夫
編曲:イルカ・常富喜雄(2020年録音版)
原曲収録アルバム:イルカのうた
原曲発表年:1974年
2010年版収録アルバム:森羅万象〜イルカ セレクトベスト〜
2010年版発売日:2010年6月2日
2020年版収録アルバム:原石時代
2020年版発売日:2020年6月24日
2020年版収録順:7曲目
2020年版楽曲時間:2分43秒
国:日本
2020年版はイルカと神部冬馬による歌唱で、編曲をイルカと常富喜雄が担当している。神部冬馬は、作詞・作曲者である神部和夫とイルカの息子であるため、父が作った曲を母と息子が後年歌い直した形となる。
楽曲について
「川崎のキツネさん」は、一匹のキツネの目を通して環境破壊を描いた楽曲である。
主人公のキツネは、周囲の自然が失われていくことに戸惑っている。
かつて咲いていた花が咲かない。
鳥の姿が見えない。
空は煙に覆われている。
外にも出られない。
そして最後には、自分の友達が誰もいなくなったことを嘆く。
こうした描写から、本作はかわいらしい動物ソングというより、公害や都市開発によって生活環境を奪われた野生動物の立場から人間社会を見つめる環境メッセージソングである。
キツネとの関係
本作では、キツネが主人公そのものである。
歌詞の語り手は自分自身を「キツネさん」と名乗り、自らが置かれた状況を語っている。
そのため狐との関係性は非常に強く、
タイトルだけに狐が登場する作品
でも、
人間を狐にたとえた作品
でも、
妖狐や狐伝承を扱った作品
でもない。
現実世界に生きる野生動物としてのキツネを主人公にし、その生活環境が人間社会によって脅かされていることを描いた楽曲である。
「ふぉくすなっ♪」で分類するなら、「生物としてのキツネを主人公とした環境・社会派楽曲」に位置付けられる。
「川崎」のキツネ
タイトルで特に重要なのが「川崎」という具体的な地名である。
単に「キツネさん」ではなく、「川崎のキツネさん」と名付けられている。
川崎は神奈川県に位置し、高度経済成長期には京浜工業地帯を代表する工業都市として発展した。一方、その急速な工業化は大気汚染などの公害問題とも結び付いた。
本作の歌詞には、煙によって青空が見えなくなり、花や鳥が消えてしまった状況が描かれている。
そのため「川崎」という都市名と、
煙
消えた青空
減っていく生き物
外に出られないキツネ
という歌詞の組み合わせから、公害によって自然環境が変化した都市をキツネの視点から描いた作品であることが読み取れる。
「コンコン」の二重表現
本作では、「コンコン」という言葉が繰り返し使用される。
日本では「コンコン」はキツネの鳴き声として広く知られている。
しかし「コンコン」にはもう一つ、咳をする音を表す擬声語としての意味もある。
この楽曲では主人公のキツネが煙に囲まれ、苦しさを訴えている。
そのため「コンコン」は、
キツネの鳴き声
と、
煙を吸って咳き込むような音
の両方を連想させる。
作詞者自身がこの二重性について明言した資料は今回確認できなかったため、意図的な掛詞だと断定することはできない。
しかし、公害による煙を扱った楽曲で「コンコン」という擬声語が何度も使われることで、キツネの鳴き声と咳の音が重なって聞こえる構造になっている点は、本作の非常に印象的な特徴である。
花と鳥が消えた世界
歌詞のキツネは、花が咲かなくなったこと、鳥がいなくなったことを不思議に思っている。
ここで描かれているのは、キツネ一匹だけの問題ではない。
植物が消える。
鳥が消える。
空気が汚れる。
そしてキツネも暮らせなくなる。
という、生態系全体の変化である。
人間にとっては都市の発展であっても、そこで生きていた動物にとっては生息地の喪失になる。
「川崎のキツネさん」は、そうした人間以外の生き物から見た環境問題を、非常に簡潔な言葉で表現している。
「僕を残して」
歌詞では、周囲の自然や生き物が消えていく中で、キツネだけが取り残されている。
この構図によって、環境破壊が単なる景観の変化ではなく、「そこに暮らしていた生き物の社会そのものを壊すこと」として表現されている。
キツネにとって、鳥や植物は単なる背景ではない。
同じ環境の中に存在していた仲間である。
その仲間が次々と姿を消し、最終的に自分だけが残される。
本作では、環境問題を数値や理屈ではなく、一匹の動物の孤独として描いている。
孤独になるキツネ
歌詞後半では、主人公が外へ出られず、友達もいないと訴える。
ここで描かれるキツネは、人間を化かす妖狐でも、賢く狡猾な狐でもない。
環境の変化に翻弄される弱い立場の野生動物である。
そのため本作の狐像は、日本の創作に多い妖怪的な狐とは大きく異なる。
狐を人間社会の外側にいる一つの「命」として描き、その視点から人間の行動を問いかけている。
環境問題を動物側から描く
イルカは長年、自然や生き物をテーマにした活動を続けている。
2010年のセレクトベスト『森羅万象〜イルカ セレクトベスト〜』について、日本クラウンはイルカがデビュー当時から「いのち、家族、自然、動物」を大切なメッセージとしてきたと紹介している。またイルカ自身も、幼少期からアリや石、葉っぱなどを友達のように感じており、自身の歌には地球やそこに住む生き物を扱ったものが多いと記している。
「川崎のキツネさん」は、その姿勢を非常に早い時期から示した楽曲の一つである。
環境破壊について人間が人間へ訴えるのではなく、
「もしそこに暮らしていたキツネが話せたら何と言うだろう」
という視点で描いている。
シュリークス時代の原曲
「川崎のキツネさん」の原曲は、イルカのソロデビュー以前に活動していた「シュリークス」によるものである。
Apple Musicでは、1974年2月20日付のアルバム『イルカのうた』収録曲として「川崎のキツネさん」が掲載され、作詞・作曲者として神部和夫がクレジットされている。
イルカは1971年4月にシュリークスへ参加し、その後1974年にソロデビューした。日本クラウンも2010年のアルバム紹介でこの経歴を説明している。
したがって本曲は、イルカのソロ活動以前から存在していた非常に初期の狐関連作品である。
神部和夫
作詞・作曲を担当したのは神部和夫である。
神部和夫はシュリークスのメンバーで、イルカの夫でもあった。
2020年版では、その神部和夫が作った楽曲をイルカと息子の神部冬馬が歌唱している。
つまり、
作詞・作曲:父・神部和夫
歌唱:母・イルカ+息子・神部冬馬
という、神部家三人が時代を超えて一曲に関わる作品となっている。
2010年版「川崎のキツネさん 2010」
2010年6月2日発売のアルバム『森羅万象〜イルカ セレクトベスト〜』には、「川崎のキツネさん 2010」が8曲目として収録された。
このアルバムでは過去曲のリメイクと新曲を組み合わせ、「いのち、家族、自然、動物」をテーマとして構成している。
日本クラウンは「川崎のキツネさん」と「ちいさな空」のリメイクに息子・神部冬馬が参加したことを明記し、「冬馬とシュリークスが再現されます」と紹介している。
Apple Musicでは「川崎のキツネさん 2010」は2分1秒の楽曲として掲載されている。
アニメ映画『ノエルの不思議な冒険』
「川崎のキツネさん」は、イルカの絵本から生まれた長編アニメーション『ノエルの不思議な冒険』にも使用された。
日本クラウンによれば、『ノエルの不思議な冒険』は1982年作品で、イルカの絵本から生まれたキャラクター・ノエルと愛犬キンノスケが旅をする音楽アニメーションである。物語ではスモッグなどの環境問題も扱われ、「川崎のキツネさん」が劇中曲の一つとして使用されている。
2010年版についても日本クラウンは「アニメーション映画『ノエルの不思議な冒険』より台詞入り」と記載している。
したがって「川崎のキツネさん」は、音楽だけでなく映像作品の中でも環境問題を伝える役割を持った。
絵本「川崎のキツネさん」
イルカは本作を絵本としても展開している。
イルカ公式サイトの絵本紹介では、「川崎のキツネさん」が「不思議草」「子豚のマーシャ」「スモール・ワールド」とともに掲載され、これらについて「環境破壊や汚染、そして絶滅」をテーマにイルカが絵本へ描いた作品と説明されている。
これは楽曲のテーマを確認するうえで非常に重要である。
歌詞だけから環境問題を連想できるだけではなく、公式側でも「環境破壊や汚染、絶滅」を扱う作品群として位置付けられているためである。
その意味で「川崎のキツネさん」は、
楽曲
絵本
アニメーション
という複数の媒体を通して展開された環境作品でもある。
2020年版
2020年6月24日発売のアルバム『原石時代』では、「川崎のキツネさん」が再びレコーディングされた。イルカ公式サイトも「再レコーディング」と明記している。
このバージョンでは、
歌:イルカ・神部冬馬
作詞・作曲:神部和夫
編曲:イルカ・常富喜雄
というクレジットになっており、収録時間は2分43秒である。
アルバム『原石時代』はイルカのプレ50周年企画として制作され、シュリークス時代の楽曲も多数取り上げた作品である。イルカ公式プロフィールでも2020年6月にプレ50周年企画アルバムとして発売されたことが記録されている。
1970年代から現代まで歌い継がれる意味
「川崎のキツネさん」の原曲は1970年代に生まれた。
しかし、その後も2010年、2020年と繰り返し再録されている。
公害が深刻な社会問題だった時代に作られた楽曲でありながら、
都市開発
野生動物の生息地減少
大気汚染
生物多様性
人間と野生動物の共存
といった問題は現代にも続いている。
そのため、昔の公害ソングというだけではなく、「人間の暮らしの変化によって野生動物が住めなくなる」という普遍的な問題を描いた作品として現在でも意味を持つ。
妖狐ではなく野生動物としての狐
狐関連楽曲の中では、本作はかなり珍しい位置付けにある。
狐を題材とした日本の楽曲では、
妖狐
狐の嫁入り
九尾の狐
人を化かす狐
狐面
など、民俗・妖怪的な狐が用いられることが多い。
しかし「川崎のキツネさん」には、そのような超自然的要素がない。
主人公のキツネは、
空気が汚れれば苦しい
自然がなくなれば暮らせない
仲間がいなくなれば寂しい
という、一匹の生き物として描かれている。
狐を神秘的な存在ではなく、人間と同じ環境の中で生きる野生動物として扱っている点が、この作品最大の特徴である。
イルカについて
イルカは、日本のシンガーソングライターである。1971年にシュリークスへ参加してプロ活動を開始し、1974年にソロデビューした。
長年にわたって自然や動物、命を題材とした作品を発表しており、IUCN国際自然保護連合の親善大使としても活動してきた。2010年の『森羅万象〜イルカ セレクトベスト〜』は国際生物多様性年に向け、すべての生き物へ捧げる作品として制作されている。
「川崎のキツネさん」は、そうしたイルカの自然・動物への姿勢を初期から示している作品である。
川崎という工業都市に暮らす一匹のキツネを主人公にし、花や鳥が失われ、煙に覆われた空の下で孤独になる姿を描く。
さらに楽曲だけで終わらず、絵本では環境破壊・汚染・絶滅というテーマを明確にし、アニメ『ノエルの不思議な冒険』にも取り入れられた。
妖狐や伝承の狐ではなく、「人間によって環境を変えられてしまう現実の野生動物」という立場からキツネを描いた、日本の狐関連楽曲の中でも特に社会的・環境的なメッセージの強い作品である。